世界で一番、綺麗なもの 第八話

「そこ座って、口開けろ………………噛むなよ?」

 

 

 

 

「………………っはああぁ!?そういわれて素直にそうすると思います?何するおつもりですか!」

「何って…お前話聞いてなかったのか?」

真面目くさった顔して返事しないでください!お伺いを立てているわけではないのです!

「そういう話をしているのではありません!そもそも!貴方その…そういう、趣味はないって言ってたじゃないですかっ!」

うーん、と考えるようなそぶりを見せる。そんな考えることなんてあります?

「そうだなァ…確かに、俺がここまでやる義理はないな。お前が魔法まともに使えなくても困んねぇし。やめるか」

やめだやめ、とパタパタ手を振る彼にひとつ息をつく。

本当に…何をするつもりだったのか、彼は。

暇になっちまったなんて寝転ぶ姿からは真意など何も読み取れない。

 

「え、あれ?魔力の流し方教えてくれるんじゃなかったんですか?」

「は。俺がここまでやる必要ねえし、お前が言う通りそんな趣味ないからな、俺」

「ヤ、あれは方法に問題があっただけで、ほら違う方法とか。あるじゃないですか」

「ねえよ。あるならとっくにやってる。もちろん0って訳じゃねえけど…俺に痛みに耐えさせて悠々と学ぼうってか?はは」

「べ、別にそういうわけでは…!」

「はあ…お前ができるのは二つ。黙って諦めるか、そこに座って俺の言うとおりにするか」

ここで、諦めるわけにはいかない。今までずっと役立たずの烙印を押されてきた。彼らにどんなに言っても仲間に入れてくれたことなんてなかった。なのに。魔力量が多いなんて初めていわれた。彼ならなんとかしてくれるかもしれない。変えられるかもしれない。…私でも役に立てるかもしれない。諦めるわけにはいかないのだ。

 


「っキヨヒトくん、お願いします…」

恥を忍んで。うつむいて耳まで真っ赤にしながら肩を震わせ言葉を紡ぐ。座り込んだ彼の表情はうかがい知ることはできない。何のために、彼がここまでしているかなんて知らない。が、だいたい見当はつく。教会出身の人間なんてほとんどが承認欲求にまみれた犬だ。虚勢だけで吠え続ける。…こういう決めつけが彼の出身を明かした際の嫌悪の理由かもしれないが、とにかく。認められるためには努力して力を付けなければならない。当たり前のことだ。弱いやつの言葉なんか誰も聞きやしない。

「言っとくけど、この方法でも無理だったら止めるからな」

一応念押ししてやると、こくん、と頷き翡翠色の瞳孔がこちらを捕える。強い決意をしたようにも、熱に浮かされたようにも見える目。その色が貫いたのはほんの一瞬のことで。すぐに銀で彩られた瞼に覆われる。必要以上に強ばった体をどうしてやろうかと手を伸ばすと、掠った指さきにさえびくんとはねる。その哀れな様子にいたたまれなくなってきた。

 

「力抜け」

額を指で弾いてやる。緊張して神経が集中している状態ではこの程度の刺激すら過剰に感じられるだろう。いったぁ!なんて騒いでるから多分元気だ。よし

 

 

 

 

 

「じゃ、やるぞ」

 

 

人は視覚からの情報が8割なんてよく行ったものだ。そこが遮断されると普段では考えられないくらいほかの感覚が敏感になる。木々を吹き抜ける風のざわめき、彼の吐息、うるさいくらいの鼓動。こんなにうるさかったら彼に聞こえてしまうのではないか。そう心配してゆっくり深く呼吸を繰り返しても、ちっとも収まる気配はない。それに背を伝う汗。こんなのきっと、へんにおもわれてしまう。目を閉じていると待っている時間が数秒にも数分にも数時間にも感じる。

 

 

唇をかさついた感触が撫でる。そのまま顎をつかんで上を向けさせられる。白くて細くて頼りない手だと思っていたけれど、案外包まれてしまうと大きなものだと感じてしまって。

 

「口開けて」

 

その声に素直に従うと、下唇をたどった人差し指が口内に入り込み遠慮がちに開けた歯にぶつかる。

 

「もっと」

 

そうささやいた声が思っていたより近くて。その指は唾液に濡れた舌を擦る。

 

「舌出して」

 

背を駆ける刺激には見ないふりして、なぜか出てくる唾液を飲み込んで舌を出す。普段はもっと、こんなんじゃないのに。

 

「ん、そう」

 

口の端から覗く赤い肉を親指と人差し指の腹で挟む。こんな哀れな男に同情でも覚えたのか、先ほどまでとは打って変わった優しそうな口調で。こんな調子で女性も落とすのだろうか。そんな余計なことだって考えてしまう。

 

「楽にしてろ」

 

そんなこと言われたって。こんな普通じゃない体勢で楽にも何もない。人間の体は舌を出したまま力を抜けるような便利な構造はしてないのだ。それが便利なのかは知らないが。薄目と生理的な涙の膜の先の彼は真剣な顔だったから、口も出せなくて。栓を失った口からは舌を、彼の指を伝って唾液がしたたり落ちる。時折見えるてらてらと光った指には目も当てられない。

異物感を主張する喉がえづくのを彼の左腕が抑える。こちらだって好きで逃げてるわけではないのに!と瞼を開けると汗に濡れた首と涼しく吹き抜ける森の風が目に入った。

手を繋いでいた時よりはましなのだろうけど、それでも介入する側の負担はぬぐい切れない。彼がここまでする理由は?私は自分のため、魔法のため、教会のため。では彼にメリットは?先に言っていたように、しなくても困らない。ただ暇だから、と。ただ、そんなに長くともにいるわけではないから確証はないが彼はたぶん、そんな適当な理由で適当なことをする人間ではない。そう、一言でいうならお人よし。知り合ったばかりの憎み口も叩きたくなるような相手にまで、施してしまうほどの。極度のお人よし。そんな思考はそれ以上すすめられなくなる。

 

 

突如、下腹部を殴られたかのような

 

痛みではない。ただ、なんだ、これは

 

頭では理解できなくても体は素直だった。開いたままの喉から内容物が逆流してくる。ずっと唾液を流しっぱなしだった口は抵抗の術を持たず。

 

「お”っ”…ぅえ」

 

間に合わなかった両手と口の端から滴る吐瀉物に混乱する。

座り込んだまま動けなくなっている本人を置いて彼はタオルと水を投げてよこす。

 

「あ…え、?」

 

それでも滲んだ涙を強がって隠していたことも忘れてぽろりと流してしまうアオイにキヨヒトはさすがにどうしたものかわからなくなって隣にしゃがみ込む。

 

「…魔力ってのは内臓の近く通ってんだからいじったら中身揺さぶられるのは当然だろ?だからそんな気にすることじゃ………………返事とかいいから!いいから口ゆすいで来いよ」

ふらふらと立ち上がる彼を見送ってひとつ息をつく。あんなに打たれ弱いタイプだったのか。何を言っても悔しげに睨んで言い返してくるからこのくらい。平気とまではいかなくても、あんなに顔を真っ青にするだなんて思っていなかった。彼が望んだことだってわかっていても、あんな子供のような瞳に涙をためられたらさすがに罪悪感だって沸く。

ただ、彼の家では子供には初め何も伝えないで行う。こわがって逃げてしまうのは一人や二人ではないのだ。そしてその後説明を受け、程よい理解と羞恥心の欠如によってあの訓練は可能となる。だから当然吐くだろうなんてこともアオイには伝えなかった。それが正しいと思っていたから。………………それが自分が嫌気がさして飛び出してきた家の訓練方法であったのに。

 

そんなことを考えながら魔法を発動する。彼の得意な分野は風魔法だ。それを応用して今は土を掘り起こしている。こんな薄暗い場所ならだれも通らないであろうしこうしておけばいつか土にかえる。元からその算段でこの場所を選んでいたのだ。

 

ただ計算違いだったのは彼の………………再び彼のことに思考が戻って気が付く。やけに帰りが遅い。どこまで行ってきてるのか。単に嫌気がさして逃げ出したなどならまだいいが、なんだか。

キヨヒトは彼の消えていったほうに歩きだす。

誰に見られているわけでもないのに、別段探しに行っているわけではないと言い訳するようにゆっくりと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続く