ゆらゆらと揺れる炎。
あれは象徴だった。
あれに身を焼かれるのが怖かったんじゃない。あれを、昨日まで優しかったおじいさんが。今朝パンを持ってきてくれたおばちゃんが。俺たちを見捨ててしまって、俺たちが死んでしまえって、思っていて。
もうそこに、自分の居場所がないことが、一番怖かった。
あの人が、ないものをあるように、あるものをないように、世界を見ていたのは知っていた。俺だけじゃなくて、みんな知っていた。だけど、だから、隣人は毎日パンを持ってきてくれたし、作物の数を数える仕事にも、おんなじだけ離れたところにおんなじだけ穴を掘って、おんなじだけたねを入れる仕事にも俺を呼んでくれた。だから村のみんなとおんなじくらい数も読めたし、作業も人並みにできた。言葉遊びの問題だしあいでは、俺が一番速かったくらいだ。
でも、きゅうに、それをだめだって言う人が来た。
虚言癖はいずれ吸血鬼になる
どこの誰かも知らない、えらそうな大人がそういったから、次の日、家は真っ赤になった。
町に出てからも、あの時はなぜだかわからなかったけれど、あれが怖かったんだ。じっと見ていると、あれに飲み込まれて、二度と戻ってこれないんじゃないかって、思ったんだ。
今でもあの揺らぎの中に恐怖を見る。
まぶたの裏の揺らぎを奥に追いやると、世界はもっと随分暗かった。一つだけぽつんと穏やかなオレンジの恐怖がふっと揺れて、落ちる。
生きてる?あの吸血鬼はどこへ行った?意識が覚醒して頭が働きはじめるにつれ、鈍い痛みが襲ってくる。思わず顔をしかめて、上体をおこし片手でこめかみのあたりをぐりぐり、と押すとカランという音がさほど遠くないところで響いた。
「よ、良かった……ッ!」
腹の上に重さと熱さがちょっとだけのしかかる。
「生き、生きて……ちがう。でも、良かった…」
布団を握った手が緩められるのと一緒に力が抜けたように空気が漏れた。外套のフードの奥にある瞳は暗くて何も読み取れないはずだったのに、少しだけ濡れていた。
「なんで。アンタがそんな顔してるんだよ」
「だって、こんな小さい子を食べちゃうなんて。あと少しでも小さかったらきっと耐えきれてなかった。」
「小さ……あの時から10年は経ってる」
「あ、……どこかで会ったことあるんだろう。」
申し訳程度の苦笑いが聞こえる。八つ当たりで押し付けた自分の人生の何と小さいことか。覚えてないのか、つい口からこぼれる。
「俺、あまり昔のことを覚えているのは得意じゃなくて。でも、君にひどいことをしてしまったんだろう、ごめんな」
八つ当たりだとはわかっていても心で燻った火種は簡単には消えてくれない。
「覚えてないなら……わからないなら謝るなよ」
「……ごめん」
自分も彼も世界のなにもかもも不甲斐なくて舌打ちが漏れる。
機嫌でも取るつもりか焦ったように話題を変えてくる。
「あ、あぁ、そういえば暗いだろ。火をつけようか」
数歩戻り何かを拾う。
「転化したばかりだから、まだ目が利かないかもしれない」
振り返った彼の手の中にあるのはろうそくだった。
「いや、いい。……火は嫌いだ。それに、案外見えるもんだ」
そういう空色はしかと黄金に輝きを返していた。
「なんていうか、君は才能があるんだな」
何の才能だ、と思いながらも奥からカップを持ってくるのを見守る。
「薬草を混ぜたものだ。危ないものは入ってないから飲んでくれるかい」
そう、差し出されたものは苦い香りがして、差し出した彼とカップの中身を数度見比べると少年は一気に飲み干した。
急に眩む視界の中、カップを奪われ寝具に優しく倒される感覚があった。
「いいこだ。さあまた夜が更けるまでおやすみ」