始まりは、空の青い青い日だった。雲一つないどこまでも続いているようなその吸い込まれるような空に、彼女は現れた。
”始まりの地”と呼ばれる草原にアオイはいた。なぜ、ここが始まりの地と呼ばれるのか、何を以てして始まりなのか、誰も知らないことではある。が、実際ここは成人した魔法使いたちが冒険を始める場所だった。低級のモンスターが沸くのだ。初めはこの子供でも倒せそうなモンスターを倒し、素材を得てギルドに売る。そうして生計を立てるものが多い。そうして、モンスターに慣れればよりレベルの高いモンスターが沸くところに移動するのだ。慣れないうちから身の丈に合わないモンスターと相対することは、命を落とす危険がある。自分のレベルととれる素材の価値を見極めて冒険者たちは進んでいくのだ。
そうして、新人ではないアオイがなぜこんなところにいたかと言うと、その新人たちを助けるためだ。初めてのモンスターにうまく戦えない人間も多い。そこで、とっさに助けに入るのだ。彼の得意な魔法は、毒と回復。一撃で敵を倒してしまうものではないので、新人たちにも経験値が入りやすい。そうして彼らはレベルを上げて、モンスターに勝てるようになっていく。モンスターのよい倒し方や、効率の良い素材収集方法などを教えることもある。しかしこれは決して善意ゆえなどではない。彼はある教会に属している。そこの教会の信者もとい協力者を作るためにいるのだ。幸い冒険を始めたばかりの彼らは頼らざるを得ないし、騙されやすいのだ。この先冒険を続けて、物資の売買を優先的にしてもらう。そんな彼の事情はつゆ知らず、彼の手を取ってしまう冒険者が多いのが、ここ。始まりの地であったというわけだ。
ただし今日は、どうにも人の集まりが悪かった。初心者たち向けのイベントでもどこかでやっていただろうか、と首をひねるも特に思い当たるところはない。そうして、手近なモンスターの体力を毒で削りながら、日陰に腰掛け持参した本に目を滑らせていると、叫び声が響いた。
「おわあ…………………——————―—!!!!」
おおよそ女性のものとしては似つかわしくない声であったが、気づかないうちに人が来ていたようだ。空から降ってきている。飛行魔法で維持できなかったか、転移魔法の座標指定をミスしたか。いずれにしろ、上級者ではないようだ。なればこそやることは一つ。「愉快な方だとよいですね。」すっかり退屈に染まっていた足を向けた。
彼女は地面に座り込んだまま呆然としていた。わずかに聞き取れたのはどうしよう…という呟きだけ。彼が近づいてきたのに気が付くと警戒もせずにこういった。
「助けてほしいんだ!」
「ええ、ええ。助けますとも。神はあなたを見捨てたりしませんから。」
いつも通りの言葉を吐きながら、少し落胆する。今回は少し楽しめるかと思ったのに。すぐ堕ちる方は楽ですが、つまらないですからね。
そうして回復魔法をかけてやると彼女は言う。
「いや、ちょっと今回は神様に頼れないからさ」
へへへとなんてことないように頭を掻く。不思議な言い草をする人だ。まるで。…少し興味が出てきました。
「へえ、どうしたんですか」
「いやぁ、ちょっとミスしちゃって。帰れなくなっちゃったんだよなぁ。だから、そのために探し物をしたいんだ。」
「その探し物を手伝ってほしい、と」
「うーん、そうなるな!どれくらいかかるかわからないからさ、なんとか暮らしていけるようにはしないとなんだよなぁ」
「そうですか、ええいいですよ。私にできることであればお手伝いします。だから、もし私が困ったときは助けてくださいね。」
こうして言葉巧みに教会への援助を誘導するのだ。
「おう!」
少し不思議だけど隙のある人。
「では、手始めに”あれ”を倒してみましょうか」
指した先には緑色のジェル状のモンスター。どのような理屈で動いているのかはわからない。細胞もないのに、こんなに大きい生物はいないだろう。いや、厳密には生物ではないのでしょうけど。研究も大昔から進んだという報告はない。”そういうもの”だと認識する方が手っ取り早いのだ。先ほど毒を与えていたからある程度HPは削れているだろう。
「危なくなったら私が援護しますから、攻撃してみてください」
「おう師匠!」
元気よく返事しててくてくと歩いていく。そんなに近づいて、距離があると狙えないのか、攻撃を近距離でしか出せないのか。いずれにしろ危ないので制御できるようになっていただかなくては。そもそもそのレベルならよく学校やギルドから許可が下りたものだ。そして
「えい」
殴った
「うわああああ、あっちいいいいい!!!!!!!」
しゅわ、と溶けたような音に悲鳴が重なる。
「スライムは触ってはいけないと学校で習うでしょう???何をやっているのです????」混乱した頭で回復魔法をかける。ううぅ、と彼女はもう動かなくなった緑の塊に今更警戒をするが、したところで。手袋を履き、素材を回収する。はい、と採れた素材を渡すも受け取らない。
「これは、触っても大丈夫なのか?」
「表面は取り除きましたから。」
ほら、と手袋を脱いで触ってみせる。それに漸く安心したのかおずおずと受け取りまじまじと眺める。そんな珍しいものでもないだろうが、初めての戦利品に感動する人は多い。
「うーん、そっか。こいつの表面には触っちゃいけないんだな。」
そんな知識もないなんて。危なっかしくて見てられない。
「では次は魔法を使って攻撃してみましょうね。」
するとかのじょはうーん、と眉を下げる。
「あたし魔法使えないんだ。」
それはそうであろう。魔法が苦手ではなかったら、そんな実力行使に出ようとすることなどまずない。しかし、いくら苦手でも使わずに生活することは難しいだろう。特に、このような街の外では。
「得手不得手があるのはわかりますが、魔法を使わないことはできないでしょう?魔法を練習するか、違う職に就くか。練習に付き合うこともできますし、職の紹介もできますよ」
「だから使えないんだよ。練習とかじゃないんだ。でも探し物をしなきゃいけない。」
そう、彼女のように認めたがらない人は案外いる。自分には才能がなかったんだと思い込むことで、自分の心の安寧を保つのだ。ただ、少し。彼女は他よりわがままなようではあるが。
「うーん、特性は何です?そこから訓練方法も変わってきますから。ギルドカードに書かれているでしょう」
「んんん???なんで通じないんだ?魔法が使えないから特性もないんだぞ。」
「そんなわけないでしょう。ギルドカードを作るのにも魔力登録するんですから。ほら、もう見せてください。」
「だからギルドカードももってないぞ」
は??????
「どうやって街から出てきたんです?通れないでしょう」
「んー、街は行ったことないぞ」
思わず頭を抱える。常識が通じない。どういうつもりで言っているのだろうか。彼女の瞳はあまりにまっすぐこちらを映していて、どうしても嘘を言っているようには見えない。「はぁ、っふふふ。ふは、」こんなに真意が読めないなんて。彼女がどういうつもりなのか、こうなったら最後まで付き合って見極めてやろうか。真偽のほどはこの際保留だ。
「なるほど、わかりました。疑ってしまってすみませんでした。でも何かと便利ですから、ギルドカードは作っておきましょうか。私が手配しますよ。」
突然意見を180度変えにっこり嘘くさい笑みを作り言ったにもかかわらず、彼女はまっすぐ信じたようなふりをする。
「信じてくれたか!ありがとうな、師匠!」
「ところで師匠とは?」
その後ギルドにカードつくりと素材収めに向かう。
「なんか、いろいろ教えてくれるから?」
「なんか居心地が悪いですね。」
「んーじゃあセンセとか?」
「私のことはぜひアオイとお呼びください」
「アオイセンセか!よろしくな。あたしはハルだ」生徒だからな、呼び捨てでいいぜと先手を打たれる。
「では、ハル。よろしくお願いしますね」
「…初めての仲間だな!」と素直に笑う。そのストレートの感情にきつく口を結びながら石畳を歩いていく。自らの使命を忘れて、絆されるわけにはいかない。
続く