青春の喜び、切望、愛の後悔、私を信じて

花なんか別に好きじゃなかった。

だから高校からの友人が花を使った仕事をしたいんだといった時も、ふうんって、ただそう思っただけ。元から植物が好きな奴で、テストはいつも赤点ぎりぎりのくせに生物だけは高得点で。それにいろんな花言葉を知っていると諳んじるのが少し悔しくて、ほんの少しだけ悔しくて図書館で調べてみたこともあった。けど、ほんとそれだけだったんだ。

 

高校生活も三年目、もう終わりそうなころ誕生日プレゼントだと家に持ってきたのは鉢植え。眼鏡も曇ってしまう気温のせいかまだ花は開いていないが、そういう季節だ。花も動物も静かにしている季節。そんな時に生まれた子は仲間を大切にしやすい、だとか。通常は群れで咲くこのクロッカスも、同じなんだろうか。確か花言葉は、

 

「誕生花だから選んだんだけどさ、花言葉もなんからいとっぽいな~って思ったんだ!」

 

枯らすなよ!といって彼は足早に去っていった。まったく、自分の勉強も忙しい時期だろうに人の誕生日なんて。それでも上がる口角は隠せなくて背に「ありがとう」と小さく呟く。聞こえるはずがないそれと同時に彼は振り返って手なんか振るもんだから、つい危ないから前向けだなんて声を張り上げてしまう。

 

家に持ち帰って軽く調べる。必要なのは水はけと日当たり、あとは土が乾燥しない程度の水やりだ。通常3~4月に開花するが、早咲きのものとして2月に開花するものもあるらしい。一週間ほどで花がおちたあとは処理がいろいろあるようだが、それはまたその時に調べればいいだろう。

 

家で一番の日当たりのいい特等席にそれは置かれた。友人からの贈り物だといえば両親も気にかけてくれて、毎朝水やりする際の背に刺さる視線は少しこそばゆい。それにしても、この花にはいくつか花言葉があるが、どれが僕っぽいだなんて思ったのだろう。場合によっては問いただす必要がある。愛がどうのとか機嫌のよいとかはなんか違う気がする。…これ、信頼、とか。そうだったら、まあ、うん。…嬉しいな。

 

二月も下旬。花はまだ開かない。誕生日に送るときに咲いてないのはどうなんだとは思うが、鉢植えならば咲く前に渡して少しでも長く楽しめるようにするのが定石とも言う。しかしいくらなんでもこれは待ちすぎではないか?そんな調子で検索をかけても何が悪いかは皆目見当もつかない。そもそも花は詳しくないし。でも花が咲く前に枯らしたなんて思われたくないし相談はできない。

 

…やっと咲いた!一時はもう咲かないことも覚悟したのに。水はけが悪いと水のやりすぎで根が腐ってしまうこともあるとネットで見てから、水をあげるのもあげないのも不安でどうにもそわそわしてしまったのだ。比較的病気にも虫にも強い花だというから、もしうまく咲かなかったら僕のせいということになってしまう。とりあえず黄色い花びらが可愛らしい写真を撮って送り主に送信してやると、綺麗だろ!と自慢げな返信と意味の分からないスタンプが送られてきた。

 

試験が終わってからネットばかりいじっている。液晶の文字列を軽く眺めてスクロール、時折指を止めてじっと読み込んでいく。

「常識とは18歳までに得た偏見のコレクションである」

そう先人が謳うようにきっとこれからは、今まで得た経験の中で生きていくことになるんだろう。その時はそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

けたたましいクラクション。振り返れば、地に落ちる体。さっと血の気が抜けて、ざわざわとした人の声がどんどん遠のいていく。頭が理解を拒んでいてそれでもどこか冷静で、あ、死んだなって。それでどうしたらいいかわからなくなって、とにかく怖い、ここにいられない、怖い怖い怖い、やだやだやだ、逃げなきゃ、って。

誰だよ、今までの常識の中で生きられるなんて言ったやつ。常識なんて簡単に変わってしまうんだ。だってこんな悲しいことが急に起こってしまうなんて知らない。今まで出た葬式は曽祖父母のもの。周りの人はみなお疲れ様って笑ってた。こんな、こんな…明日の約束をしていた友人が急に死ぬなんて。

 

気が付いたら家にいた。八百枝が家まで送ってくれたらしい。僕はただ取り乱すばかりで、何もできなかった。冷静だったら何かできたかと言われると、そういうわけではない。ただ、。

 

朝、久々に親に起こされる。青のことでたぶんひどい顔をしているのだろう。でもそこで言及されることはなかった。着替えて、すっかり日課になってしまった水をやりに行く。青が死んでも青がのこしたものまでは死なないんだななんて考えてたのに。花はしぼんでいた。散々だ。昨日まであんなに健気に咲いていたのに。黄色い花弁は今は元気を失ってただその先に未練がましく張り付いているだけのようだった。

 

花がしぼんだら花を摘み取ってやる。球根を掘り返して十分に乾燥させ次の季節までしまっておく。そうすればまた新しい花が見れるらしい。この花を摘み取るのはまた来年も生きるため。花を摘み取らないといつまでもそこに栄養が行ってしまい、球根が大きくならないらしい。だから、ほら。早く摘み取ってしまわないと。

 

振るえる指先がやけに冷たくて、花を摘み取ったら花を殺してしまうような気がして、目の奥が熱くなって、ただどうしようもないままそこに立っていた。ほんとうは、それをしないことがこの花を殺すことになるのに。浅い呼吸のまま手を伸ばす。後ろから急にかかる声に我に返る。どうやら急ではなかったようだ。聞こえていなかった。朝ごはんが食べられないのなら野菜ジュースがある、と。それに返事をするためにクロッカスから背を向ける。いいよ、今じゃなくても。卒業式が終わるまでは、この花もまだ花をつけたままでもきっといいよ。辛いことは後回しにして、でもきっと、時間が解決する傷もある。

 

 

 

 

 

 

 

一人暮らしもだいぶ板についてきた。青がいなくなっても三人での連絡は意外に取れるものだ。成人式で集まるついでにご飯でも、と。

青の死はどうしようもなかった。人にはどうしようもできないことが起きることがある。そんな衝撃的な偏見が最後の最後でコレクションに加わっただけだった。辛いけど、辛いといってるだけじゃ何もできない。でも辛いって言うことが間違いなのではないんだ。ただ、それを受け入れようと受け入れまいと時間は等しく流れていく。

 

今日も家を出る前に鉢植えに水をやる。冬の寒さの堪える時期に咲くこの花は秋に植えて寒さに当てておかないと咲かないらしい。来月になったら咲き始めるだろうか。いつも、この花を見るたびにお前を思い出すよ、青。全然吹っ切れたりはしない。でもそれでいいんじゃないか?いつもお前が振り回してたように、死んでもなお、僕は振り回されっぱなしだっただけだ。そんなところも愛おしかったと思えるほど、思い出はちゃんと美化されていく。辛くてどうしようもなかったけど、それでも今日この日を歩いて行くだけならできる。

きっと大丈夫だって、今なら言える