冷たい風が頬を刺すから、あなたの肩に顔を埋めた

「かーなた。ね、帰んないの」

聞きなれた言葉に顔をあげると、リラの花のような可愛らしい声を転がして彼女は小首をかしげる。切りそろえられた茶髪の揺れる奥に、かかっている短針はぼんやりと右下の方を指していた。

「まだ学校閉められる時間じゃないじゃん」

家に長い時間居たくないって知ってるくせに。今更な投げかけに少し拗ねたような声を隠さず机に突っ伏す。こんな季節の雨上がり、外にも出たくないのはよくわかる。机に広がる猫っ毛を無意識に指で軽く遊びながらとうやはいいあぐねていた。機嫌を損ねたいわけではない。もちろんご機嫌取りに徹したいわけでもないが。

「遊びに行こうよ」

唐突な誘いに、訝しげに顔をあげる。普段ならここで駄弁って、鍵を閉めに来る先生に見つかる直前に教室から出るのが鉄板だ。早く家に帰りたくもないが、先生に声をかけられるのも面倒くさい。そうやっていつも、『したくない』を避けて生きてる。

でも、淡黄の眼差しに若干の遠慮か、憚りがあるのはすぐに分かった。それを無視するほど追われているわけでもないし、そもそもとうやと出かけるのは『したくない』ことじゃあない。

「どこ行くの」

鞄からチェックの布を取り出し、机から離れながら慣れたように首に巻き付ける。去年のクリスマスに、交換したヤツ。そんなかなたにホッとしたようにええとね、とふたりは教室を後にする。

人気のない住宅街を通っていき、寂れた公園でとうやは振り返って笑う。季節外れに咲いた薄明るい花のようだった。

懐かしい、としきりに繰り返してはしゃぐとうやにつづいて、かなたも座って両脇の鎖を緩くつかむ。爪先で少し地面をけると世界がゆらゆら揺れ始め、靴がそこを通るたびに砂が舞い、水たまりでパラパラと音を立てて沈んだ。

「もうすぐ卒業だね」

こうやって隣に座るのも、あと少しかな、なんてわらう。

「私、就職するんだ」

思わず左隣に目をやると、とうやは腰の高さから勢いをつけるところだった。弧を描いて流れていく爪先、タイミングよく移る重心。とうやを乗せた板はどんどん高いところに上っていく。

「なに、それ。…ラップは?ダンスはどうすんの?」

「さよも、いるし」

かなたはそれでやっていけるから、……けど。そんな呟きは風にさらわれていく。

「子供に教えたいんだって、言ってたじゃん」

その言葉を境に、次第に重心の偏った振り子は勢いを衰えさせていく。不器用な振動がかなたにも伝ってくる。静かな揺れだけが響き、やがて止まった。

「…………、……したかった」

絞りだしたような声がぽつりと落ちて波紋が広がる。

何も言えなかった。何も言いたくなかった。こんな手早く口から出るような薄っぺらい言葉で、それを汚したくなかった。

寒い地に耐えて咲くリラのように、逆境に震え美しくまつげを揺らす、そんなことがあるんだと知った。

 

ただ、口は結んだまま、とうやの肩に顔を埋めて、背中に手を回す。なにか言われるよりも先に「寒いから」と。「冷たい風が、ほっぺに刺さるから。」

秋風も、それに文句は言わなかった。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リラの花を探そう」

何の話、とでもいうかのように赤くなった目をかなたに向ける。

「あるんだよ。普通は花弁が4枚だけど、たまに5枚のが。」

それを見つけると幸せになれるらしい。そういうのって四つ葉じゃないの、と不思議そうにする彼女に、自分に言い聞かせるようにもして言葉を選ぶ。


「それは、みんな探してるしみんな知ってるでしょ。そうじゃなくて。誰も気づかないような小さな幸せ。一緒に探したいの」

 

f:id:toffifee:20210824035827j:plain

ライラック