「またお越しくださいませ~」
昼時のピークも過ぎた。山積みの食器洗いにやっと手を出しながら、つい思考はこの後のことに行ってしまう。逢瀬の待ち合わせは三時半。迎えに来ると言って聞かない彼にはシフトが三時までとは伝えていない。だって三時までって言ったら三時前に来るだろあの人。三時に終わってすぐ出てこれるわけではないのだ。それは彼もわかっているところであろう。わかっていないのは寒空の中待たせたくないというこちらの配慮だろうか。以前待ち合わせをした時もそうだった。上着一枚で外にいて。かわいい恋人に風邪でも引かれたら困る。何が困るって…看病とかしに行くのもいいな。でもつらい思いはさせたくないのだ。
皿洗いの手は止めないままそんなことをぼんやりと考えていると、客席からベルが鳴る。オーダー票を手に向かうと、それは、いた。窓の向こうに見慣れた彼の姿。あまりのことに足が止まる。は???まだ二時半すぎなんだが???前回口酸っぱく言った結果、マフラーをしてくることは覚えたらしい。いや、それでも。
突然窓ガラスに顔を近づけ、はーと息を吐く。瞬間曇ることから外は相当寒いのだろうと。手袋も吐かず真っ赤になった指をポケットからとりだして、点が二つと、その下に曲線。その下にまた息を吹きかけて”Fight”と。こっちからは反対に見えるのにも気が付いてないのだろう。そのスマイルマークにも劣らないほどのニコニコとした顔でこちらを見つめていた。
とにかく、中に
そんなことを考えていると催促のベルが鳴る。慌てて客のもとへ向かい、厨房にオーダーを通してから店のドアを開ける。やはり暖房のもとで活動することを前提の制服姿では堪える。
「入ってくれ」
「そういうつもりじゃないんだ。外で待ってる。」
「そこに居られても迷惑だろ」
困ったように首をかしげて言う。
「もっと離れて待ってるから。」
やっぱり。こちらの意図は何も伝わっていない。無理やり手を引いて中に連れていく。その手が、想像していたよりももっとずっと冷たくて、思わず漏れた舌打ちも仕方ないと思う。
そのまま席に案内し、所在なさげに視線だけでこちらを窺う彼に温かいコーンスープを持っていく。当店自家製まろやかコーンスープ税抜き240円だ。
「それ飲んで、待っててくれ」
おう!と能天気な返事が返ってこない。不審に思ってじ、と見つめると、おずおずといった調子で見上げながら一言。
「…怒った?」
ため息もつきたくなる。
寒い中待たれることにも不満はあるが、それより、
付き合ってから変なとこで無駄に遠慮してきている気がする。
前は、こちらの迷惑も考えずに自由になんでも決めてなんでもやっていたけど、どんな心境の変化か。
勝手に突っ走られるのは困るが、彼の自由を奪いたいわけじゃない。
ただ、それを伝えることはできず、大きなため息の後に「別に」と不愛想な返事を返しただけだった。
やっと三時。ずいぶん時間が過ぎるのが遅かったように感じる。それは、ちらちらとこちらを窺う彼の視線が気になって仕方なかったからかもしれない。急いで着替えを済ませ、挨拶もそこそこにコーンスープの会計を済ませ彼のもとへ。
「待たせた。」
おう!と今度は想定通りの返事と共にいそいそと上着を着る彼のマフラーを巻きなおしてやる。ずいぶん楽しそうに隣に並ぶ彼になんだか気恥ずかしくなって先に扉に手をかける。
「あれ、会計は?」
伝票ももらってない…と心配そうに問いかけてくる。
「もう済ませといたから」
外に出るとやはり寒い。白く染まる息に身震いをしてマフラーに顔をうずめる。早く目的地へ行ってしまおう、と歩き出した腕をつかまれて
「だめだ、」
後輩に払わせるなんて、先輩面をさせてくれ。
要約するとそのようなことを言っていた。先ほど怒らせてしまったのもあるから、どうにも申し訳がない、とも。
ああ、何もわかっていない。
「それなら、俺にも恋人面をさせてくれ。待たせたんだ。それくらい奢る。それにさっきのは、」
掴まれていた手を取りなおす
「繋ぐ恋人の手は温かいほうがいい」
なんて、カッコつけて言ってしまってあとから死ぬほど恥ずかしくなるんだ。彼の反応もうかがえずにいると、わかった、と。
じゃあ次の機会では俺が奢るから!などと的外れなことを言われながら繋いだ手を引かれ石畳を歩いていく。