窓枠に切り取られた青空が貴方を攫ってしまいそう

 

「今日帰りにカラオケ行こうぜー」


騒々しい教室。放課後の高校生といったらおおよそこんなものかもしれないが、翔湊はそれが嫌いだった。うるさくて、周りを省みないくせに、どこか巧妙に空気を読む。遠まわしでしかし明確な拒絶。聞き耳をたてたくて立てているわけではないけど、それとバレたらどことなく気まずいので、SHRをしに担任がくるまで机に突っ伏して時間をつぶす。彼らは誰でもできるような馬鹿のふりをしているくせに、誰でも受け入れるわけじゃあないから。


世界が違うんだろうな、と。有り体な言葉だが率直にそう思った。きっと見えているものが違う。昨日のデエトと今日の晩御飯と明日の宿題のことさえ考えていればそれでいい。別に羨ましいとも思わないけど、けど、そうじゃない自分が気を遣うのはどうも面倒だなと。前の席から回ってくる参観日のお知らせのプリントをぐちゃぐちゃにしまって、組んだ腕により顔を埋める。机に触れた額が冷たくて心地よかった。このまま目も耳も塞いでしまえたら、楽なのに。


挨拶もそこそこに、特別教室棟へ向かう。理科室の担当となっている教師は適当な人物のようで掃除には顔も出さないし鍵の管理も雑だ。放課後は誰も来ないし意外といい場所である。適当な椅子に座って机に上体を預ける。昨日の夜はあの人の機嫌が悪かったようで騒がしくて、なかなか寝付けなかった。昼休み越しのうたたねの続きをしようと目を閉じる。


無遠慮に扉を開ける音で意識が浮上する。どれくらい寝ていたかはわからないが、目を閉じた時からさほど時間は立っていないような気がする。寝てた人間の体感時計ほど信用ないものはないと思うが。視線を少しだけ動かして確認すると、俺と同じ色のラインの入った上履き。なんだ、生徒か。そうもう一度目を閉じると、想定外にも話しかけられた。


「あの、ごめん。その席ちょっといいか?」
寝起きの不機嫌さと驚きを隠そうともせずに無愛想に返事をする。
「なに」
自分の口から出た声は思っていたより掠れていて、この教室湿度低いのかもしれない、なんて関係ないことを思って、だからどうというわけでもないんだけど。
「俺さ、忘れ物しちゃったみたいで。机ン中、入ってない?」
言われた通り引き出しに手を突っ込むと筆箱があった。最低限の筆記具が入っていればいいタイプなんだろうな。
「はい」


目当てであろうものは渡したにもかかわらずその場を去ろうとしない目の前の人物を不審げに見上げる。教室内では秒針だけが動いていて、カチカチという音と音の間がひどく長くも感じられた。
「えっと、空、綺麗だな!」
突然の頓珍漢な発言に思わず振り返って窓の外を見やる。たしかに、目を細めてしまうような青空だった。別にそれ以上話すでもなく、それこそ青空のように笑いながらまだそこにいる彼に痺れを切らす。
「何なの」
「あ、俺同じクラスのかね…」
「知ってる」
自己紹介を途中で遮ってため息を吐く。別にアンタの素上について聞いたわけじゃない。ていうかクラスメイトすら知らないと思われてたのか。ため息に反応したのか今更空気を呼んだのか彼はなんか、さ、と焦ったように言葉を紡ぐ。
「似てるな、と思って。空とさ。」


は、と思考が止まる俺を置き去りになんでだろうなとぽかぽか笑う。全然なに考えてるかわかんないけど、じっと見てくるのから、なんだか目が離しがたかった。
「あ、目だ。目が似てる」
ようやくわかったとすっきりした面持ちで彼は手を振る。じゃあな、また明日と。最後まで何が何だかわからずに向こうのペースに乗せられっぱなしだった。なんだったんだ。扉が閉まるのを確認してさきのように突っ伏すと、秒針なんか比べ物にならないくらい自分の鼓動が響いていた。

 

 

 

 

 

忘れ物をした!と気づいたのは教室を出てしばらくしてから。今日の提出物に記名を忘れていると担任に引きとめられて。鞄を探るもいつもの感触は返ってこなかった。とりあえずボールペンは貸してもらって、先生には別れを告げたが、なくしでもしたら大変だ。今日の授業の時はあったんだから教室に戻ればあるだろう。最後の時間は…理科室だっただろうか。

 

クラスメートなのに初めて声をかけた。俺が座ってた席に座ってなければかけなかったかもしれない。でもけだるげに開かれた瞳がまっさらに晴れていて、思わず時間を忘れてしまって。今日が本当に晴れていてよかった。あとから思い出しても何であそこまで話を続けようとしてたのかもわからない。ただ、なんだか、あの窓枠の向こうの青空と、同じくらい君が離れて、手が届かなくなってしまう気がして。