一会どころではなかったけれど

「Oha…!」

 

思わず感嘆の声をあげる。その視線の先には大量の人、人、人。

我が国にも世界に誇る大空港は存在するが、彼女が驚いているのはその人間たちの行列。

やはり日本と言えば、これだろう。勤勉さ、真面目さ、実直さ。数分の遅れも許さない電車などがその最たる例である。もちろんドイツも勤勉と称されることは多々あるし、欧州の中では、かなり時間通りに公共交通機関が動く方だ。しかし、そこにいる人まで真っ直ぐ並ぶというのはあまり見ない光景かもしれない。

そこに、自国ではルーズな他国民も一緒くたに並んでいるからという理由を付けて、彼女は深呼吸した。なんだか、違うにおい。空港でその国の匂いが変わるという噂は本当だったのだ。目を輝かせて”ショウユの匂い”と呼ばれるそれを胸に満たした。

…と、のんびりしている暇はない。出迎えの人のもとに急がねば。

 

カードをあげて待っていた彼女は優しく出迎えてくれた。留学する際に日本での生活をサポートしてくれる団体の一人だ。生活のお金をサポートしてくれたり、日本語学習を手伝ってくれるのだ。団体の開催するイベントで日本人と交流したり、団体の募った学生に街を案内してもらうこともできる。

この国について、この街について、この団体について、彼女のいく大学について。バスに揺られながら彼女の話を聞く。ふと窓の外を見ると大きな夕日が沈んでいっていた。これは、どこから見ても同じなんだろうけど、それでも、今まで頼ってきた人たちと離れてみる夕日はとても大きくて、街を飲み込んでしまいそうになった。自分は今はまだ何も持っていないけれど、この街から奪いつくしてやるくらいの気持ちで、いろんなことを知りたい。いろんなことを得たい。いろんな経験をしたい。今日はその第一日目だ。

「何もないでしょう、この街。夜も街の明かりで星の一つも見えないし。かといって街が発展しているわけではないのよね」

近くにあるものは見えづらいともいうのだと思った。

 

彼女の住まう大学寮まで送ってもらい、もう荷物の運び込まれている部屋に入る。段ボールの合間をぬってカーテンを開けると、なるほど星は見えないが、様々な輝きが落ちていた。いろんな人が働いて、この光を織りなしているんだろうな。ぐぅ。十数時間椅子に体を括りつけていた時に食べただけでは、やはり持たなかったようだ。それに、時差ボケというのか、外は暗くなっているが、体感時計は全くそう感じない。山積みの段ボールをざっと見渡す。よし、荷解きをしている余裕はないな。ご飯に行こう。

 

換えてもらった日本円がいくらか…いや、ちょっとばかし夜の街を歩くには多すぎるくらいの金額の入った財布とスマホだけ持って、外へ繰り出す。本当はチャレンジしてみたいけど、一人で知らない味に触れるのは少し抵抗がある。それに、来たばかりであれば移動の疲れもあるし慣れた味のものの方が良いと勧められていた。彼女は見覚えのあるハンバーガーショップに足を踏み入れる。

「いらっしゃいませ、店内でお召し上がりでしょうかー」

「………………Hm...」

「お持ち帰りですか?」

「Äh………………ハイ」

メニューを指さしながら答えていく。授業や先生との練習ではこんな速く話してなかった。ある程度話せると思っていたのに、井の中の蛙だったというわけだ。

袋に包まれて商品が渡された。…なるほど。どうやらmitnehmenで頼んでいたようだ。

とにかく、その袋を受け取って自分の新しい基地に戻る。初めての夕食としようではないか。意気揚々と歩いていると、後ろから声をかけられる。

「オネエサンちょっと遊んでいかない?」

「バッカお前通じてないだろうよ、外人だぜ?」

意図ははかりかねたが、振り向いて笑って言う。

「こんにちは!…あ、こんばんは、!」

へぇ、とわざとらしく眉をあげながら彼らも笑う。

「オネエサン日本語話せるんだ、じゃあさ、名前。教えてよ」

「名前?…あたしはハルっていいます。あなたは?」

「おうおう、じゃあさ、いくつ?…年ね。何歳?」

習った言葉でできる限り会話を進めていくも、どこか会話がかみ合わない気がする。何か変な答えを返してしまっているのだろうか

「あたしは18歳です」

「えぇ~~~まだ子供じゃぁン、こんなとこ一人でいたら危ないよ」

「お兄さんたちがいいとこ連れてってあげるからおいでよ。ね?」

よくわからないまま肩に手を回されそのまま歩いていく。その時、

「おい、行くぞ」

突然引っ張られる。決して強い力ではなかったけど、驚いてそのままついて行ってしまう。後ろから、

「なぁんだ、連れいんのかよ」

「じゃぁねぇ、オネエサン」

と声が聞こえたので

「またね」

と返しておいた。

 

手を引く少年は人通りの多い道まで来ると、手を離した。

「あの、勝手に連れてきて大丈夫でしたか」

絡まれてるんだと思って、とぶっきらぼうに告げる。が、早口なうえに小声だとうまく聞き取れない。

「ごめんなさい、もう一回言って」

「え?、あの、勝手に連れてきて大丈夫かって」

「?………………ゆっくり、言って」

「かってにつれてきて、だいじょうぶか?」

「えっと、はい。うん、大丈夫。よくわからないけど、遊ぼうって言われただけだから。でもあたし、ご飯食べないと。」

そうたどたどしく答えると、彼は長い息をつく。

「なんだ、そんな心配するほどじゃなかったんじゃん。」

「?、なんていったの?」

「何でもない。それより、帰るなら、早くしたほうがいいぞ。また声かけられるかも、しれないから。」

「わかった、ありがとう」

きゅるるるる

そう言って背を向け歩き出した彼から腹の音が聞こえる。一瞬立ち止まってそのあと早歩きで去っていく彼の腕をつかんで引き留める。

「おなかすいているなら、一緒に食べよう」

 

今度こそ店内で食べるように言えたバーガーショップで向き合っている。

「日本を、安全な国だと、思い込んでるのかもしれないが、知らない人について行ったり、知らない人と急に飯だなんて、言うもんじゃないぞ。」

「んー?いもうとにもよく、いわれた」

そう正直に返すと、またため息をつかれる。

「あたしはハルっていいます。あなたは?」

「………………清仁」

「キヨヒト?…子供が、こんな遅くまで、外にいたら危ない、と思うけど。」

「どうだっていいだろ…別に抜け出してきたって、気づきはしないんだ。」

「じゃあ、気づいてほしくて、出てきたってことか?」

「!!…どこをどうとったら、そうきこえるんだよ」

また間違えてしまったらしい。まだ上手にお話しできない。でも、まあ、まだ一日目だし。伸びしろと考えれば、その分。

 

そのあと、互いの名前しか知らないまま、連絡先も交換せずに別れた。現地での出会いってこういうふうに運命的な物だから面白いのだろう。なんだっけ、こういうの。なんていうんだっけ。あの、あれだよ、あれ。………………なんだ。